家づくりとは

『ありがとう』の連鎖である。

篠原工務店の原点

 

こんにちは。
株式会社篠原工務店 代表取締役の篠原純一です。

2006年春、先代から事業を継承し、既に8年が経過しました。

【先代の「日本一の大工になりたかった少年の物語」はコチラ】

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この8年間も、先代が築いてきた3700棟の伝統や技術、そして何よりも大切な人とのつながりを大切にしながら、感謝の気持ちを胸に、必死で走ってきました。

と同時に、これから出会う全ての方と共に、
新たな人とのつながりを作り出せるよう日々精進したいと思っています。今後とも宜しくお願い致します。

さて、このページでは「篠原工務店の原点」と題しまして、簡単ではありますが、
先代と私の略歴を綴らせていただきました。

少々長くなりますが、是非このまま読み進めていただければ幸いです。

 


篠原工務店 代表取締役 篠原純一

■昭和47年12月 茨城県境町で生を受ける。

現場が遊び場だった幼少期

父がすでに(株)篠原工務店を設立していたため、
私も物心ついた時から工務店業界の中に身を置いて育ちました。

その当時は、大工さんに毛が生えた程度の小さな工務店だったので、
父にはよく材料を積んだトラックに乗って現場に連れて行ってもらいました。

この頃の私は少し引っ込み思案で、何も分からない子供でしたが、
材木の香りに全身を包まれ、地場工務店の心意気や誇り、
職人さんのあったかみなどを感じてたような気がします。

現場で怪我をするような遊びをしていたら、
顔から火が出るくらい父に怒られたことを昨日の事のように思い出します。

そんなこともありましたが、今思い出せば、
子ども心ながら成長するにつれて、
「俺は篠原工務店を継ぐんだろうなぁ」とは意識はしていました。

 

大学で建築を学ぶ

中学・高校と地元で過ごし、大学は横浜の神奈川大学工学部建築学科に進みました。

小さい頃から慣れ親しんできた「親方の技術を盗む」という方法ではなく、
裏付けされた理論による【建築学】に触れたことで、私の視野が大きく広がった4年間でした。

何よりも驚きだったのが、建築現場で棟梁や大工さんが本能的に行なっている仕事が、建築学としても理に適っていた事です。
そして私自身も、「図面を描くことは楽しい」と感じていました。

そういった経緯もあり、改めて「大工さんってすごいな…。」と感心する事しきり。
ひいては、「現場のおもしろさ」を体感をできたというのも大きな経験でした。

ちょうどこの時期、父が本社を現在の場所に移し、地元ではちょっとは名の知れた工務店になっていました。

 

ゼネコンで得た多くのかけがえのない経験

「家業を継ぐ前に、もっと広い建築の世界に触れておきたい。」

そんな思いから卒業後は地元に帰らず、東京の中堅ゼネコンに就職しました。

大きな現場がいくつもある会社で、現場監督として主にRC造の建築に携わることができました。

自衛隊の隊舎や、特別養護老人ホームなどの建築を経験し、現場の管理方法やミリ単位でのシビアな仕事を身につけられた事は、今の仕事にも大きく役立っています。

鉄筋コンクリートの特徴を知り、木造のメリットもデメリットも客観的に把握できたことで、
檜の家づくりへの魅力を感じるようになってきました。

そして平成10年4月、すっかり規模が大きくなった篠原工務店に入社しました。

 

自分探しの葛藤

人生で初めて父の元で仕事をするようになった私は、今まで培ってきた経験を活かすべく、
木造の他にマンションや店舗なども手がけるなど、毎日朝早くから夜遅くまでがむしゃらに仕事をしました。

ところが、成し得た成果に対しての周囲の評価は
「やっぱり社長さん(父)はすごいですね」となってしまう。

当時は「やったのは俺だろ!認められないならもっと大きな仕事をやってやる!」とムキになり、職人さんに迷惑をかけてしまった事もありました。

今思えば「どうせ社長の息子だろ」という目で見られるのが悔しくて、
無意識のうちになにもかも自分独りで頑張ろうとしすぎていたのかもしれません。

一級建築士の2次試験に落ちてしまったのもこの頃でした。
2回落ちてしまうとまた振り出しに戻ってしまうので、
死に物狂いで勉強してなんとか合格しました。

仕事は充実しているものの、自分の存在が見えにくくなっている時期でした。

 

TVチャンピオン出場で得た転機

そんな時、篠原工務店がかたくなに守り抜いてきた檜へのこだわりが番組制作会社の目にとまり、
テレビチャンピオンへの出演依頼がありました。

「持っている技術を活かすチャンスだ」という社長(父)の決断で、
私は設計士として正月も返上でプラン作成をし、過酷な工期と決戦に備えました。

決戦の日。総指揮官の社長のもと、篠原工務店の全力を結集させて建築に挑みました。

皆が一つの目標に向かって助け合い、まとまり、知恵を絞る。
時には夜中までお互いの意見をぶつけ合い、チームとしての誇りを形にしていく。

私は、今まで味わった事のないような興奮と喜びで体が震えるのを感じました。

苦闘の末に建物が完成し、露天風呂の湯船にお湯が張られた時、
達成感・充実感・疎外感・緊張感・・・
色々な感情がこみ上げてきて、涙が止まりませんでした。

テレビ番組の結果は残念ながら準優勝でしたが、
私は何ごとにも代え難い「現場は人が作るんだ!」という確信を得ることができたのです。

私の人生の転機と言っても過言ではありません。

・・・転機と言えば、実は、この撮影に向かう前日に当時付き合っていた彼女に「絶対に優勝してくるから…その時は、結婚してくれ!」とプロポーズしました。

優勝の約束は果たせませんでしたが、今は良き妻として私を支えてくれています。

 

社長就任

その後の充実した毎日はあっという間に過ぎ去り、
父の会長職就任に伴った私の社長就任の手続きを進めていた頃、
2回目のTVチャンピオン出場の依頼がありました。

昨年得た充実感と優勝できなかった悔しさは忘れる事ができず
二つ返事で出場を決めました。

昨年とは違い、社長としての決断、そして参加。

前回準優勝という結果を一番悔しがっていた会長(父)に総指揮の座は譲り、
私は父の右腕として、設計と現場での具体的な指示を担当し、見事優勝することができました。

(こちらにテレビチャンピオンレポートがあります)

 

これからの篠原工務店

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それらの経験から、これまで父が築いてきたのは
≪家というモノ≫ではなく、≪家づくりを通じた人の繋がり≫だったんだな、と感じる事ができました。

そう考えれば考えるほど、40年近くもお客様との信頼関係を築き上げる事は並大抵の事ではないと思いますし、逆に40年近くも篠原工務店を愛して頂けるお客様の深いご理解に対し、言葉では言い表せない感謝の気持ちでいっぱいです。

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20131213_100950-300x225近年、篠原工務店では、幼稚園や保育園に大工さんと一緒に伺って「出張木工教室」を行っています。

そこで、木工教室が始まる前は
「大工さん」「木工」にあまり興味のない子供たち…

ですが、木工教室が終わった後…

「大工さんになりたい人~!」と問いかけると…

20131213_113122-300x225子どもたちの多くが

「はぁーい!!」

という、大きな声で返事をしてくれます。

 

私はこの瞬間、その子供たちのキラキラとした笑顔に出会うたびに
これからも、家づくりに誇りをもって取組み、地域の方々に愛されるような会社でなければならないと、強く心に感じます。

 

末筆ではございますが、皆さまの住まいづくりが安心で、
幸せなものになりますよう、心からお祈り申し上げます。
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[所属・役職] 代表取締役
IMGP3484[名前] 篠原 純一 (しのはら じゅんいち)
[ニックネーム] じゅん、しの
[誕生日] 昭和47年12月9日
[星座] いて座
[血液型] A型
[出身] 茨城県猿島郡境町
[入社年月日] 平成11年
[資格・特技] 1級建築士、1級建築施工管理技士、珠算2級、剣道2段、料理(お好焼き、ちらし寿司)
[趣味・休日の過ごし方]
趣味はゴルフかな。40歳まであと少しで、「これはやばい!」と思い体重キープのため“朝のウォーキング”を始めました。
休日はショッピングセンターに買い物に行ったり、たまに“シルク・ドュ・ソレイユ”を妻が好きなので一緒に見にいきますね。
特技の料理は休日にやるのですが、全部の料理を同時に出すにはどうすればいいのか?と考えることが“家づくり”と一緒だなと思うので、“頭のリフレッシュ”になるので大好きです。